第4分科会 共同体・アイデンティティ
司会:権香淑(早稲田大学アジア研究機構客員研究員)
◆第一報告◆
「중국 글로벌 도시의 등장과 조선족 도시 커뮤니티의 형성:조선족의 종족성 자원화 전략을 중심으로」
*報告者:芮東根(韓国・高麗大学アジア問題研究所選任研究員)
[要旨]
今日、トランスナショナルな移住とエスニック(族群)コミュニティーに対する研究は、発展途上国から先進国への移動と先進国の空間環境で移住パターンと定住の類型化が移住研究の主流を成している。
本研究は既存の主流研究の限界を補完するために、経済が発達した国家から後進国への移住、後進国国内における都市化過程で形成される都市中の村(城中村)に対する移住をグローバルな背景から考察しようとするものである。
これは、既存のトランスナショナルな国境を越えて現れる遠距離トランスナショナリズムに比べ、国境を越えないグローバル都市空間で形成される近距離トランスナショナリズムの特徴を把握することによって、トランスナショナルな現象をもう少し深く把握しようとするものである。
また、中国研究で戸籍を中心として行われている国境内の移住と移住民居住地(城中村)研究の主流方向とは違うアプローチを試みようとした。具体的に、本研究では、東北戸籍の朝鮮族と北京戸籍の漢族、韓国移住民との比較研究を行うと同時に、グローバル(国際的)都市である北京の望京コリアタウンで、国家共同体と種族(エスニック)共同体にどんな関係が起きたかを省察しようとする。
最後に、新しい政治・経済空間で朝鮮族は如何に主体的に共同体を再建しているかを捉えることによって、エスニシティの多層化・位階化・商品化・社会化の過程を覗いてみようとする。特に、朝鮮族のエスニシティの資源化戦略に焦点を置きながら、種族性(Ethnicity)に基づいて、脱国家的価値を追求するエスニック・アイデンティティの層位が如何に形成されるかを考察することによって、東北アジア共同体と朝鮮族の関係の新しい設定を試みようというものである。
*討論者:権寧俊(新潟県立大学准教授)
[要旨]
韓中国交樹立以後、大量の韓国企業らが中国に進出し、北京・天津などの首都圏や沿海都市を中心に韓国企業群体が形成した。さらに、韓国人の首都圏に進出する人口も増加し、この過程で北京各地においてコリアタウンが形成された。そこで芮東根氏の報告は中国におけるグローバル社会に伴う超国家的な朝鮮族の都市コミュニティ形成を、北京の望京地域を例として漢族と韓国人との比較で行っており、既存のトランスナショナルな現象を理論的により深く検討しながら新たな研究視点を提供する報告であったと思う。特に中国戸籍制度による下位階層の労働力集団の「不完全な市民権」が逆に朝鮮族にとって脱国家的な民族アイデンティティを再集結し、同質感を獲得できる「伝統的アイデンティティ」を維持できる、という分析は興味深いものである。しかし、そこで幾つかの疑問がある。まず、北京は中国の中でも超流動人口密集都市であり、現朝鮮族の人口移動率は他の民族より非常に高いことになっている。また、その移動は農村➝都市➝海外などに進行している。その中で果たして朝鮮族が都市コミュニティとしてアイデンティティを維持しながら根をおろせることができるだろうか、また、民族アイデンティティを維持には民族教育が何より強く作用されるが、現在民族自治区域の延辺でも民族教育が衰退する過程で、より一層情況が難しい北京のような大都市で民族アイデンティティを維持することは難しい問題ではないか、と考える。さらに、現在北京や上海地域の朝鮮族の韓国人に対するイメージが漢族よりも非常に悪いという研究調査が出てきており、それによって朝鮮族の中では「中華民族」の意識がますます強くなっている。これらの問題は延辺を含む朝鮮族のコミュニティ地域形成の障壁となっており、それを克服しなければ今後朝鮮族の存続に悪影響を与える要因にもなっていると思われる。今後これらを含む芮東根氏の「総合的な研究」に期待したい。
◆第二報告◆
「조선족집거지의 문화산업 발전 전략:연변조선족집거촌을 사례로」
*報告者:鄭喜淑(中国・中央民族大學民族學與社會學學院)
[要旨]
今日、わが民族社会は、人口減少と人口移動により文化領土だと言われてきた朝鮮族村の深刻な空洞化と解体、そして民族学校の廃止と民族アイデンティティの危機に陥っており、民族の伝統的な価値観が揺らいでいる。田舎の村は巨大な敬老堂(訳者注:老人の憩いの場)のように変貌し、これ以上文化的な伝承力を維持することが困難な状況である。さらに、大衆文化の氾濫により共同体が有していた文化創造力が失われている。筆者は、このような視点から、吉林省図們江流域における朝鮮族集住村を対象に、人類学的な参与観察の調査方法からデジタル写真とインタビュー方式で文化資源を調査し、村の社会的、文化的変化の具体的な内容を描いてみた。
図們江流域における朝鮮族の集住村は、共同体文化を構成する最も基本的な共同生活であり、わが民族が敷地を定めて生きていく最も実質的な日常生活の垣根である。したがって、朝鮮族が朝鮮から移住し、定着した第一の村でもある。では、図們江流域の朝鮮村の農村住民の定着過程はどうなのか?その過程において彼らの人生はどのように変わったのか?村が有する文化資源と生態資源がどのような形態で再現され、またどのような方法で保存され発展してきたのか?など多角的に捉えつつ、如何にして持続可能な生態学的農村文化の代案を示し、村を離れ異郷で生活する人々とも連帯し、彼らが村に戻れるのか? 農村で暮らしても青年男子が結婚でき、子供達も農村で産める村にするために、つまり、農業を活かし、農村を持続可能にする問題は、文化や経済産業を発展させるべきだという戦略的視点を据えた。何故ならば、都市のない農村は持続可能であるが、農村のない都市は持続不可能だからである。このような次元において、農村は文化的な価値であり、生態学的な理致である。故に、図們江流域の朝鮮族集住村の文化産業の発展戦略は、重要な社会的意義と経済的意義がある。
*討論者:金森(ZOGLO代表)
◆第三報告◆
「日本に在住する「朝鮮族」の多重言語能力の状況的考察:留学生として来日している「朝鮮族」を中心に」
*報告者:金花芬(大阪府立大学大学院博士後期課程)
[要旨]
日本入国管理局の統計によると、2008年末までの外国人登録者数は2,217,426人にのぼる。国籍から見ると、中国が655,377人で最上位を占め、韓国・朝鮮が二位で589,239人である。中国国籍を有する者の中には、「朝鮮族」というエスニック集団がある。「朝鮮族」とは、朝鮮半島に起源をもつ民族であるが、国籍としては中華人民共和国であるため、「朝鮮族」の来日者は、中国からの来日者とみなされる。アジア文化研究所長の劉京宰氏の調査によると、日本に滞在している「朝鮮族」は53,000人余りと推測される。
「朝鮮族」の日本への進出は1980年代末から始まり、20年の月日が経過する。韓国への進出の目的が出稼ぎであったこととは異なり、日本への進出の目的は留学であることが多い。かれらは、「エスニック・ビジネス活動に限らず、親睦dantai・研究会・聯誼会・校友会・同窓会等の多様な団体活動、及びインターネットにおけるコミュニティ・サイトの形成等の自発的な活動を通じて、『在日本中国朝鮮族』の社会ネットワーク」をつくり上げている(朴 2006:238)。その中のコミュニティ・サイトである「shimto」をみると、日本に在住する「朝鮮族」は朝鮮語(韓国語)、中国語、日本語の三言語を用いていることがわかる。
「朝鮮族」に関する研究、特に「朝鮮族」のアイデンティティの研究では、「朝鮮族」が使用している言語について言及されることが多い。「朝鮮族」のアイデンティティに関する研究をみると、「朝鮮族」を二言語(朝鮮語と中国語)または三言語(二言語と日本語)をもつものとして捉え、アイデンティティを分類する(権 2006;鄭1996)。朝鮮語、中国語、日本語の三言語について言及している研究には権の研究がある(権 2006a:333)。権は、日本に在住する「朝鮮族」のアイデンティティは、「マルチ・アイデンティティ」であるとし、そのマルチ・アイデンティティは、「三言語を自由に操る多文化的な存在として、象徴的に表出される」と述べている。しかし、権の研究では、「朝鮮族」の三言語の習得や使用に関する実例、証拠が具体的に示されていない。「朝鮮族」の多様な文化的資本を知るためには、三言語が「朝鮮族」においてどのように身体化されているのか、具体的に分析する必要性があると考えられる。
また、日本に在住する「朝鮮族」に関する実態調査においても、その三言語について言及されている(金 2004;権ら2006a;権 2006b;原尻 2006;朴 2006)。しかしながら、これらの研究では、言語を「朝鮮族」の実態を把握する一つの指標として取り扱っただけにすぎず、三言語の習得状況や三言語がどのように身体化されたのかについて、具体的に研究するものではない。
そこで、本研究では留学生として来日している「朝鮮族」の人々が三言語を使用することを可能にしたものとは何かについて考察する。その背景として、「朝鮮族」が日本に渡った経緯、中国における少数民族への政策も「朝鮮族」の言語学習に大きな影響を与えたのではないかと考えられる。そこで、まず「朝鮮族」が朝鮮半島から中国を経由し、日本まで移動した経緯、少数民族政策による民族自治区域と民族学校での言語学習体系について考察する。そして、言語習得状況を学校、家庭、地域社会、インターネットとマスメディアなどの言語環境に分類して考察する。さらに、朝鮮語、中国語、日本語の三言語が、どのようなレベルで「身体化された」のかについて考察し、これらの言語からどのような主体が構築されているのかについて明らかにする。
*討論者:李哲権(聖徳大学准教授)
[要旨]
「彼ら」の名は朝鮮族である。「彼ら」は延辺という周縁に生きる実存として、三つの言語、朝鮮語、中国語、日本語を操る存在といわれている。「彼ら」は思っている、自分たちはその三つの言語を所有していると。否、信じている。その三つの言語を財産のように持っていると。そしてそれをノマドという名のスーツケースに入れて国境を越え、異郷の地に仮初の住処を設けている。その瞬間、「彼ら」は「われわれ」になる。複数にして単数なるこの「われわれ」。「彼ら」はこの「われわれ」という集合体の脇腹から肋骨を一本抜いて瞬時に作動してくれそうな連絡網を創ろうとする。「ネットワーク」という名の連絡網――前近代的な郵便制度ではなく、現代的な情報システムから借りてきた黄金の看板。
しかし、「彼ら」は何かを誤解している。「彼ら」はこの三つの言語を所有しているのではない。三つの言語は、「彼ら」を支える支台でもなければ、土台でもない。三つの言語は、 「彼ら」にアイデンティティも約束しなければ、主体性も保障しない。
むしろ、「彼ら」はこの三つの言語に担われている。あたかも赤ん坊が母親の揺する揺りかごに寝かされているように、「彼ら」はこの三つの言語でできた揺りかごに載せられている。が、この揺りかごは、決して「彼ら」を寝かしてはくれない。また、この揺りかごは、「彼ら」にその幼年時代の記憶も返してくれなければ、母親も返してくれない。「彼ら」はただひたすら揺すられているだけである。いつの間にか境界線上へと運び去られていることにも気付かずに。
要するに、「彼ら」はこの三つの言語に所有されている。「彼ら」はこの所有によってある病理学と関わった身体を有するようになる。アイデンティティの持てない身体、主体性の持てない身体になっている。なぜなら、この三つの言語は「彼ら」の身体を一なるものから二に分割し、三に分割して多孔質の存在に変身させているからである。
ゆえに、いまはただ、この多孔質が「彼ら」にある種の潜勢力を授けてくれることを願うことしかできない。そして、それが「彼ら」に他なるものを受け入れ、異質なるものへの横断を可能にする言語的、美的、倫理的なエネルギーを備蓄してくれることをさらに願うしかない。
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