研究活動
朝鮮族研究会

部会記録
朝鮮族研究会

第1分科会 歴史・外交
司会:李海燕(日本学術振興会外国人特別研究員)

第一報告
「中国国内における朝鮮人アナーキズム運動の展開と国際連帯活動:1920年代を中心に」

*報告者:崔学松(大東文化大学・関東学院大学兼任講師)

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要旨]
 本報告の目的は、1920年代を中心に高揚した東アジアの国際連帯活動を歴史的に解明する研究の一環として、中国における朝鮮人アナーキストの国際連帯活動をとりあげ、その実態と意義を検討することにある。
 中国国内における朝鮮人のアナーキズムの受容は三・一運動直後の1920年代初期だと認識されている。在中朝鮮人のアナーキズム受容の理由としては、おもに民族主義運動の分裂に対する失望と共産主義に対する拒否という時代的背景があった。在中朝鮮人アナーキストは、アナーキズムと民族主義を対立的に認識せず、アナーキズムについての認識においては自由聯合という概念を重要視し、それを最も効果的な独立運動の方案として考えていた。
とくに、満洲は在中朝鮮人が最も多く居住している点において、民族解放運動史上重要な地域であり、アナーキストもこの地域で活発な運動を展開した。しかし、国内運動の限界を克服した在中朝鮮人アナーキストの反帝国主義運動において、どのような国際的連帯活動が展開されたかについては充分に検討されていないと思われる。
 191911月、満洲の吉林で結成された義烈団はアナーキズムを志向する初期の団体であった。申采浩が作成した義烈団の宣言文の「朝鮮革命宣言」は、外交独立論を批判しながら民衆の直接的な革命を主張した。その後、19244月に柳子明などによって北京で在中国朝鮮無政府主義者聯盟が結成され、機関紙『正義公報』が発刊された。同団体は自由連合の組織原理に従って団結を呼びかけながら、共産主義革命理論に対しては反対の立場をとった。また、アナーキズム自体が国際主義を追求するために、アナーキズムの国際連帯は東アジアにおいても活発に展開された。19284月、天津で韓国、中国、インド、台湾などの代表が参加して東方無政府主義者大会を開き、同年6月には上海で東方無政府主義者聯盟が結成された。
 このように、在中朝鮮人アナーキストは資本主義、共産主義とは異なる第3の道を志向しながら、農村運動や労働運動、および帝国主義に対する直接的な抵抗運動などを展開した。とくに、その国際連帯活動は国際主義の実践でもあった。
 植民地朝鮮の場合は、民衆の自発的な三・一運動を通じて、知識人は民衆の主導での社会変革の可能性を認識し始めた。そして、大衆を主体とした運動の展開、および長期的な海外基地を基点とする本格的な抗日運動への転換を企図した。このような植民地解放のための運動のなかで、民族主義にかわる新たな思想としてのアナーキズムは、抑圧された民衆の解放のための民衆史観であり、民族主義者たちの国内運動の限界を克服した反帝国主義の国際的連帯運動であった。そして、これは地理的に最も近い中国、朝鮮半島、日本のアナーキストの連帯でもあった。

*討論者:李泳采(恵泉女学園大学講師)


第二報告
1910-20年代中国間島地域における牛疫の流行と官憲の対応」

*報告者:尹哲友(東京大学大学院博士後期課程)

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要旨]
 牛疫は牛、水牛、羊、シカなどに感染する急性伝染病で、その死亡率は100%に達する。18世紀、ヨーロッパで牛疫の大流行があり、2億頭を超える牛が斃死した。近代ヨーロッパから伝わった牛疫は、19世紀後半から猛烈な勢いで流行し、東アジア各国で甚大な被害を出した。満洲の東南部に位置する間島でも牛疫が猛威をふるい、農業生産と貿易に甚大な被害を出した。
 間島において牛疫を中心にする獣疫防疫体制が確立されたのは1913年である。当年、陶彬・吉林東南路兵備道道員は岩永覚重・在局子街日本領事分館主任の勧誘により朝鮮総督府獣医を嘱託として採用して防疫を開始した。しかし、日本側から「内政の干渉」があったとして、当年8月朝鮮総督府獣医を解雇してしまった。
 その後、中国官憲は自主的な牛疫防疫を実施するが、その防疫体制には穴が多く、その後数年間、間島には牛疫の発生が絶えなかった。その際に一番問題になったのは、警察管理体制の不備によって牛疫の発見が遅れることと、農村で罹患牛を隠蔽して食用にしたり販売したりする行為が広く存在していることであった。そのほか、吉林省財政の緊迫により、防疫費が慢性的に不足していることも、間島の防疫体制が不全に陥った原因の一つになった。
 1920年代、日本は間島各地の18ヶ所警察署・分署の所在地に朝鮮人居留民会を設置し朝鮮人に対する支配を拡大した。そのうち、牛疫防疫は朝鮮人の生活を安定させて懐柔する手段として浮上した。当時、間島の衛生行政を担当していた朝鮮総督府は、間島朝鮮人の懐柔と朝鮮への牛疫の侵入を防ぐ目的で、間島で牛疫防疫を精力的に進めていた。
 1920年代前半、日本は間島で獣医仮免許員の配置、免疫血清の接種、活動写真の上映など、総合的に防疫事業を展開していたが、牛疫防疫の重点を朝鮮との境界である豆満江沿岸に置いたため、他県から間島への牛疫の侵入を阻止できず、間島における牛疫の発生は却って増加していた。また、日本による間島防疫の介入は、中国に対する主権の侵害だけでなく、朝鮮人懐柔、朝鮮人統制を通じて日本の勢力拡張にもつながっていった。そのために、中国官憲からの反発を招いた。
 1920年代後半、朝鮮総督府は中国との境界に牛疫免疫地帯を構成し、朝鮮への牛疫侵入防止をさらに強化した。その中、間島においても豆満江沿岸に免疫地帯が設置し、牛疫ワクチンを接種した。また日本は牛疫防疫における民会の業務を拡大し、防疫を処理する機関として位置づけ、朝鮮人に対する統制を強化した。

*討論者:谷川雄一郎(神奈川大学非常勤講師)

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要旨]
 日中両国政府の在満朝鮮人政策に関する既存の研究は、国籍問題、土地商租権問題、治外法権問題、および教育問題を扱ったものが多く、獣疫をめぐる日中両国官憲の対応について扱ったものは管見の限り皆無である。報告者の着眼点に敬意を表したい。本報告は1910年代から1920年代にかけての獣疫事業を通じた日本の間島朝鮮農民への懐柔政策の進展、およびそれに対する中国側の対応について論じている。報告者は、日本の防疫事業の介入は、1920年の間島出兵後、警察官を同伴する形で行われるようになるなど、強制力を伴うものとなっていったが、20年代前半においては、このことが日中間の「大きな事件に発展」することはなかったとする。しかし、20年代半ば以降、日本が「朝鮮人民会」(以下、「民会」)に防疫事業の権限を付与するなど懐柔を深化させたことから、中国官憲は「日本の勢力拡張に対して危機感を感じ」、朝鮮人を排斥するようになったとしている。つまり20年代半ば以降、日中の対立軸として「民会」の存在が浮上したという分析視角である。では、この「民会」とは日本、中国、あるいは朝鮮人自身にとっていかなる存在であったのか、日本の懐柔政策の本質と中国官憲の反発、間島朝鮮人への影響を明らかにするためには、さらに深く考察する必要があろう。すなわち、「民会」への防疫事業の権限付与は、何を狙いとし、どのような形で日本の「勢力拡張」につながるものとされたのか。また中国側は「民会」が防疫事業を行うことをどのように受けとめ、具体的に何に対して「危機感」を感じたのか。加えて間島在住朝鮮人は「民会」を、あるいは「民会」の行う防疫事業をどのようなものとみていたのか。以上の点を軸に具体的事例などを通じて考察を加えれば、日本の間島朝鮮人懐柔政策の本質、中国官憲による朝鮮人圧迫のメカニズム、および間島朝鮮人の立場をより深く解明することが可能となるのではないか。


第三報告
「現代中国外交研究の見取り図:改革開放期を中心に」

*報告者:兪敏浩(名古屋商科大学講師)

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要旨]
 中国の世界的プレゼンスが急激に高まる昨今、中国外交が従来にも増して注目と議論の的となっている。中国主導の東アジア地域秩序、G2など中国外交をより積極的で能動的に見なすものから、脆弱な大国の体制維持に奉仕する受動的な外交として見なすものまで、実にさまざまな中国外交像が錯綜しているのである。中国と隣り合わせている日本にとって、台頭する中国はとりわけ気になる存在であり、それだけに中国外交に対する関心度も高い。
いうまでもなく、中国外交は決して一つの特徴で片付けられうるほど単純なものではない。そのため、歴史的伝統を重視する場合は中華帝国的外交、リアリズムの見地からは古典的ウェストファリア外交、リベラリズム的には国際コミュニティーの一員となりつつある中国など、それぞれ異なる中国像が拮抗しているのが現状である。こうした拮抗する中国像は一人ひとりの研究者の認識の中でも同棲しているところが中国外交を明快に語ることを難しくしている。
こうした現状はもちろん中国外交自身の多様性にも原因があるが、他方で従来の中国外交研究にも改善すべき点があると思われる。例えば従来の中国外交研究は議論の明快さと政策需要を満たすためにディシプリンと政策研究に過度に依存してきたのではないだろうか。またディシプリンについていえば、精緻化が進む反面、包括化の作業はおろそかになっていたのではないか。このような問題点を抱えていたからこそ、先行研究で描かれた中国外交像には一貫性が乏しく、時代の変遷とともに揺れ動いてきたのである。
そこで本報告では現代中国外交の先行研究に対して分類と比較を行い、その上、従来見落とされてきた視点を拾い上げ、より一貫性のある包括的な分析枠組みを提示することを試みたい。こうした作業を通じて、互いに相克する視点の寄せ集めではなく、多様な視点を融合した新しいアプローチを編み出すことが期待される。
 本報告で取り上げる先行研究は主に米国、日本における現代中国外交研究を指す。時期的には改革開放期、すなわち1978年以降の中国外交に関する先行研究が考察の対象となる。

*討論者:曹海石(法政大学大学院非常勤講師)

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要旨]
 本報告は、現代中国外交の先行研究に対して分類と比較を行い、より一貫性のある包括的な分析枠組を提示し、多様な視点を融合した新しいアプローチを編み出すことに大胆にチャレンジした。とりわけ改革開放期を中心に、研究内容の地理的範囲(横の比較)、理論的アプローチ、年代別(縦の比較)の3つの基準を設定し、現代中国外交研究の見取り図を描くと同時に、課題進化モデルを提起した。しかし、まず分類と比較の対象が「外交政策研究」か、それとも「外交史研究」か、が明確ではなく、やや残念である。次は、現代中国外交を論じる場合、かつてのソ連(党が所有する国下斗米伸夫)と同じく、「党中央外事指導小組」に関心を持って「一貫性」と「優先課題」の回答を求めた方がより良いかも知れない。更なる研究成果を望んでやまない。
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