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朝鮮族研究会

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関西部会記録(2011年3月26日)

2012.04.11 09:06

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関西部会2011326 14001700 於:京都龍谷大学大宮キャンパス)

◆第一報告

報告者:林 梅氏(関西学院大学)
テーマ:「墓地をめぐる行政の力と村の意思中国東北地域の朝鮮族村を事例に
討論者:李 相哲氏(龍谷大学)

【報告要旨】(林梅会員)

 本報告では、中国朝鮮族村を事例に、土地利用問題の一環として打ち出した埋葬改革をめぐり生じた行政と村との間の齟齬に対して、村人と村民委員会がどのように対応したのかについて考察することを目的としていた。これまでの中国農村研究では、漢民族社会の村落構造や村民自治の機能不全に関するものが中心的課題であった。そこでは、集落に存在する「自治」的側面において、村民自治の可能性を見出そうとするものの、少数民族の村落構造及びその固有性への検討は不充分であった。本報告はこうした観点をふまえて、漢民族のそれとは異なる朝鮮族の葬儀とくに、埋葬に関する土地利用や信仰観念をとりあげ、それらがめぐり繰り広げられる生活世界における具体的な実践に着目した。行政の埋葬改革の意思とは異なる、生活の必要から出発する村民の実践行為における生活自治と、その生活自治を保障する仕組みとなっている村民委員の政策的解釈をとらえようと試みた。とりわけ、政策とは異なる文脈において、老人会を中心にした村人自らの意思に基づいて行われてきた土地利用と慣習的な葬儀の変容を通して、生活を組み立てる生活自治がどのように行われてきたのかということを明らかにした。また、老人会と村民委員会との関係を検討することを通じて、集落における生活者であり、村における村幹部という二つの側面を有している村民委員の村民や行政に対する対応のあり方について考察した。その結果、村民委員の政策的解釈から生まれる対応が生活自治を確保するだけでなく、国家末端組織の村幹部としての責任を忠実に果たそうとすることにつながっていることが明らかになった。


【討論要旨】(李相哲会員)

 長年の現地調査を基に朝鮮族農村における「村民委員会」の役割を考察、国家の末端組織がどのような形で機能しているかを明らかにしようとした優れた論文だ。
 発表では、村民委員会の選出の仕組みや村民委員会の、集落、村落、鎮と国家との関係および村民委員会の意味するものへの詳しい説明は省いている(著者の説明では他の論文を通してすでにこれら問題についても触れている)ので、内容全体を把握しにくい部分もあったが、朝鮮族農村では村民委員会が、村における村民の間の紛糾に対する仲裁、政府の行政に村民の意見を反映させ、村民の要求や提案をおこなうという機能を果たしているという実態も分かる。
 ただ、親族関係などで選挙が左右される漢民族村における村民委員会と、老人会など組織でもみられる「人縁、地縁、血縁、相互扶助などの風俗を保持している」朝鮮族村における村民委員会の役割、行政との関係は、かなり違うのではいか?
 「墓地をめぐる」諸問題で見せられた朝鮮族の「生活自治」力、行政と村との齟齬に対する能動的な対応が、漢族や他の少数民族の村でも有効か、すなわちこのような朝鮮族村にみる「村民委員会」の行政への対応は、中国農村社会の社会的仕組みの普遍性を意味するものなのか、特殊性を意味するものかについてさらなる説明がほしかった。
 なお、外部世界にはあまり知られていない、中国農村における葬儀に関する風習、朝鮮族村の葬儀をめぐる風俗の変化、意識の変化、農村末端組織のありかたなどを綿密に調査し、記述した点も論文の価値を一層高めている。


*********


◆第二報告

報告者:朴 銀姫氏(佛教大学非常勤講師)
テーマ:「近代への眼差し尹東柱の詩「山上」、「山林」、「朝」を中心に
討論者:大廣 典子氏(高松高等学院)

【報告要旨】(朴銀姫会員)

 三篇は1936年夏頃に書かれたと推定される。同年3月末に尹東柱は平壌から龍井に戻っていた。この頃から1938年に京城へ行くまでの間に、数十篇の童謡・童詩を書いたが、幼稚で、諧謔的で、時には風刺の効いた表現を通して、彼は世間を眺める子供の眼を得た。この無垢な子供の眼こそ原初人間の心に近いものではないか。童謡・童詩の創作は、観念的で難解だった初期の詩風を一変させた。彼は童謡・童詩だけではなく、数多くの詩を書き、この年は生涯のうちで最も多産な期間となった。童謡・童詩22篇と詩19篇であった。
 この時期の詩を、内容を基に大別すると、一つ、平壌崇実中学校の学生生活を詠った詩、一つ、鬱憤を吐露した詩、一つ、龍井の学生生活を詠った詩、一つ、都市と自然を描いた詩である。「山上」、「山林」、「朝」は、この最後の内容を反映した作品である。高い山頂に登って、街を眺める詩的話者(「山上」)――近代はのろまに歩く「汽車」のようにやって来る。山上からの眼差しは「子供の眼」に通じるものである。「ずきずきと胸を打」つ「時計」に追い払われて、「山林」に抱かれる詩的話者。詩「山林」は近代都市と自然を対照的に描いている。詩「朝」は夜明けの様子を聴覚的に描いたが、これは鄭芝溶に学んだ手法であろう。ありふれた自然風景であるが、龍井地方の口語によって、詩に地方性が強調される。「朝」には、「汽車」、「時計」など近代都市を象徴する詩語が見当たらないが、牛と樹木()と貧しい村人しかいない風景の背後には、物質に満ちた風景、即ち近代都市風景が迫っている。鄭芝溶の田園詩に見られる近代都市への批判意識や、原初人間的なものに対する賛美の意識は、尹東柱の三篇の詩にも通じている。
 「山上」を1930年代の朝鮮詩壇において見ると、その独創性と斬新さが際立つ。当時高名であった鄭芝溶や、金
鎔、辛夕汀など田園詩人たちは、皆一度故郷を離れて近代都市で生活しており、都市生活の中で生じる郷愁を詠った。しかし尹東柱は、そのような感慨を述べない。なぜなら彼自身が山(田園)の側に身を置いているからであり、彼の眼差しは山上から、やって来る近代に向かって投げかけられている。
 一方、満州の地において、『北郷』や『満蒙日報』などで活躍した作家の多くは、半島から北上して来た人々だった。郷愁や祖国を失った悲しみ、異国での辛い放浪生活などが当時の満州現代詩の内容であり、この時期には抗日歌謡が盛んに歌われていた。金達鎮や尹海栄、韓海龍らは、龍井の街や海蘭江を詠ったが、民族のゆかりの地として、あるいはまた異国の風景として捉えている。彼らが描いたのは、悲嘆にくれる異国の地・龍井であって、尹東柱の「朝」が心の故郷、人類の故郷として描く光景とは異なる。この時期、尹東柱は「南の故郷」(祖父の故郷ないし民族の故郷)をしのぶ詩も書いているが、「朝」は彼の揺れ動く故郷意識を反映した。
 「山林」をモチーフにした詩は当時の朝鮮現代詩には殆ど見当たらない。そこで国木田独歩の「山林に自由存す」や、独歩に影響を与えたロバート・バーンズの詩を背景として考えてみたい。これは今後の課題として取り上げる。
 なお、本発表で論じた三篇は、詩人自らによって、第一原稿集『私の習作期の詩ではない詩』から、修正されて第二の原稿集『窓』に転載された作品である。当時の詩人の内心の動きがありのまま反映されている貴重な作品であり、それゆえに詩人が大事にした作品である。この詩の反芻行為、即ち自分と向き合う行為や故郷は後期作品における重要なテーマでもある。


【討論要旨】(大廣典子氏)

 朴銀姫氏の尹東柱研究は、「尹東柱再考 満州時代の詩を中心に」(『阪大比較文学』大阪大学大学院文学研究科 20083月)に遡る。この論考は尹東柱の初期創作である童謡・童詩を取り上げ、その制作を1930年代における詩的モダニズムの受容、新形式の受容として捉え直したものである。これを起点として、現在、朴氏の研究は、尹東柱の詩の日本語訳という問題を通して、翻訳という行為が孕む複雑な課題を捉えている。翻訳がもたらす原詩との乖離は言うに及ばず、まず翻訳の前段階として、自筆原稿とハングル版詩集には相異がある。編集出版の際に、原稿の古朝鮮語や龍井地方の口語が現代語へと〈修正〉された事例をはじめ、種々の差異がもたらす問題に朴氏はその照準を合わせてきた。また、これらの問題とは別に、詩人自身が改稿を重ね、自ら差異の創出を繰り返している。それゆえ、尹東柱の名のもとには多種多様の異なるテクストが存在している。そこで朴氏は問う、われわれは社会的文化的な制約を受けながら、いったい何を読んでいるのか、読んで来たのかと。
 本発表では、尹東柱の詩「山上」「山林」「
아츰  朝」が取り上げられ、論じられた。三篇は1936年夏以降に書かれたと推定され、この頃、詩人は平壌から龍井に帰郷している。朴氏が紹介したのは、すべて第一原稿集『私の習作期の詩ではない詩』に収められたテクストである。これらは第二の原稿集『窓』に転記され、「山林」については異なる第三の原稿も存在するが、当時の詩人の心の動きが反映された貴重な作品として第一原稿集のテクストが紹介された。レジュメには朴氏自身による日本語訳が併記されていた。「逐語訳を心がけたが、龍井〈方言〉の訳出は非常に難しい。」と氏は合同討議の場で述べた。龍井〈方言〉の重要性と翻訳の方法に関する問題は、参会者の話題となっていたと記憶する。
 朴氏は、同じく第一原稿集の「
거리에서 街にて」(1935.1.18)を参照することによって、「山上」「山林」「朝」の三篇が〈自然と都市〉をテーマにしたものであると捉えた。詩に用いられた「時計」や「汽車」など近代的なモチーフに注目し、田園の描写と都市生活、龍井と平壌の対比によって、「近代へ投げる詩的話者の眼差しを通して、尹東柱の近代批判意識、揺れ動く故郷意識を読み取ることができる」とした。
 さらに発表は、同時期の朝鮮詩壇と満州朝鮮人詩壇の動向を概括的に展望した。金
鎔による「남으로 창을 내겠소 南に窓を」、金達鎮「龍井」、尹海栄「海蘭江」、これらの詩と対比することによって、「朝」にみられる「深呼吸하오 또하오. 深呼吸する またする。」などの語法を通じて、尹東柱の表現がもつ清新さ、モダニティの在処が探られた。この点から、尹東柱に影響を与えた詩人として鄭芝溶が想定され、彼の「郷愁」「毘盧峯」との類似点などが指摘された。
また、「山上」「山林」については主題の共通性から、先行するテクストとして、ロバート・バーンズ「我が心は高地にあり」、国木田独歩「山林に自由存す」に言及があり、キリスト教的な世界観との関連を示唆しつつ、その内容の検討については今後の課題となると論じた。とくに「山上」のもつ破局的なイメージ「
텐트같은 하늘이 문허저  テントのような天が崩れて」には、黙示録を想起する参会者もあったことを記す。
 以上、朴氏による発表は、尹東柱の初期創作を分析、同時代の他の詩人の制作と対比することによって、尹東柱独自の清新な表現と思想の萌芽をと検証した。

(以上)

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